論語読みの論語知らず

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 よく論語読みの論語知らずといいます。私も女房から「論語を勉強しているのにね」と皮肉を込めて言われることが時々あります。

 大石会計で安岡定子先生を招いて『くにたち論語塾』を始めて13年が経ちます。こうして論語に触れることで、私自身は何か変わっただろうか、成長しただろうか・・・はっきり言って自分では分かりません。

 ただ、論語に触れることで、我が身を省みて、成長していない自分、足りない自分を自覚することはしばしばです。論語読みの論語知らずと言われたら、「ごもっとも」と返すしかありませんが、「足りなさ」や「至らなさ」を自覚できるだけでも人生という旅路の中では大きな意味があります。

 論語に書かれていることは、誰もが頷けるような超良識的なことばかりです。頭で理解できても実行できないのは、自分自身の人としての足りなさが原因なのです。

 理解や実行が困難なことばかり或いは簡単に実行できることばかりが書かれていたら2500年もの間読み続けられることはなかったことでしょう。

 出来そうで出来ない、そして誰が聞いても心地良いことが書かれているのが論語です。そこには生きる上での知恵がたくさん詰まっています。将来に生かせる反省もたくさんできます。でも、それを一人で読み通すのは難しいと思います。

 毎月第一月曜日の『くにたち論語塾』でみなさんをお待ちしております。