自覚

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 私はため息をつくことがありません。意識しているわけではありませんが、一人でいるときにも決してため息はつきません。この地上に私のため息を聞いたことがある人は一人としていない筈です。

 と自慢げに書いていますが、なくて七癖といいます。ため息はつきませんが、かつて貧乏ゆすりは酷かったようです。一応過去形で書いておきます。

 数年前、私の貧乏ゆすりが社内で話題になっていると耳にしました。無自覚というのは怖いものです。

 どんなシチュエーションだったのか分かりませんが、社員と話す私の上半身が揺れるほどの貧乏ゆすりだったそうです。よほどのイラつきだったのでしょう。周りは気付いているのに本人に自覚がないのですから最悪です。

 それを聞いた時、あまりにショックだったので、それからは一人でいる時にも貧乏ゆすりを自覚した瞬間に止めるようにしました。今では多分やっていないと思います。でも無自覚の時には分かりません。

 そう考えると、改めて自覚することには大きな意味があると思います。他人から見たら不快な振る舞いや仕草も本人に自覚がないと結構恥ずかしいものです。そもそもその行為が周りにとっては不快であるという認識がなくては始まりませんが。

 森信三先生は、「人間というものは、自分の欠点に気づきだしたとき、ある意味ではすでにその欠点を超えようとしつつある」と言っていますから、自覚できているということはまだマシなのかもしれません。