税理士になったきっかけ

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 中学生の頃、父に「税理士という仕事があるが」と言われたことが、この業界を志す遠いきっかけでした。父は同じように、兄には「測量士」を、弟には「司法書士」を薦めたのでした。もっとも、中学生の私には税理士なんて何のことやらさっぱり分かるはずもありませんでしたが。

 父は若いころにした商売が上手くいかず、わたしが物心ついたころには山梨で農業を営んでいました。大規模農場とはいきませんが、農家としては近隣では注目される程度の実績を上げていました。そんな父が、三人の息子にいわゆる士業を薦めたのは農業を継がせる気は毛頭なかっただけではなく、商売の難しさも肌身をもって知っていたため国家資格で身を守らせようとしたのかもしれません。

 しかし、たいした勉強もせず、当然税理士を目指すこともなく大学生活を過ごしたわたしは、卒業後に一度は故郷山梨に帰り、人並みに地元の地方銀行に勤めることになりました。測量の道に進んだ兄と、司法書士の勉強中の弟を見るにつけ、敷かれたレールを真っ直ぐ歩く銀行員の自分に「少し失敗したかな」と、いつも心の中で思っていたものです。そのため、たまたま勉強した銀行検定用の財務をきっかけに、いっそ税理士試験までやろうと決心してしまったのは当然の流れだった気もします。それは入行3年目の秋のことでした。

 しかし、はじめに税理士を薦めたのは父ですが、夜中に税理士の受験勉強をしているわたしを気に入らなかったようです。その頃の銀行員は、社会的にはそれなりに評価され、また結婚したい職業の上位には常にランクされるような職業でもありましたから、銀行を退職するという前提で税理士の勉強をしていることが許せなかったのでしょう。

 銀行の仕事には不平もなく、人間関係にも恵まれていましたが、若き日のわたしにとっては銀行の安定感などはさほど魅力には感じなかったようです。もっとも、銀行はその十年後にはバブルの崩壊によって安定感を失ったものですが、当時はまだそんな気配すら感じられない時代でした。

 結局、銀行を25歳で退職させてもらい、1年の受験浪人と3年の会計事務所勤務の後、29歳で独立開業をしました。思い返せばそれはあっという間の出来事でした。浅い経験での独立ですが、「経験年数と実力は比例しない」が持論のわたしですから、仕事面での不安はまったくありませんでした。ただし、食べていけるかという経済的な不安は正直少しだけありましたが、なにか行動を起こす時に、その後にどのように展開していくかなどと、いちいち考えていては怖くて何もできなくなってしまいます。それはもうひたすら前を向いて進んでいくしかなかったのです。

 当時から、今のように将来をイメージして逆算の経営を行なっていたなら、もしかしたら今ごろ大石会計は大変な成長を遂げていたのかもしれませんが、そもそもそんな知恵がついたのもここ数年のことです。したがって大石会計事務所は事業としてはまだまだ道半ばですから、わたしも当分の間頑張らなくてはいけません。

 結果として大石三兄弟は現在、測量士、税理士、司法書士をやらせていただいているのですから、親の導きとはありがたいものです。あんなに前向きで社交的だった父が商売で上手くいかなかったのは、少しばかり強烈で真っ直ぐな性格が災いしたのかもしれません。しかし、学歴も社会的な地位もなかった父でしたが、その考え方や人生観が今のわたしの礎になっていることだけは間違いありません。