「出来る」と「出る」

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 今春、男子中学校に進学したわが息子は毎日が楽しくてしようがない様子です。先日初めての中間テストがあったのですが、本人からはバッチリだと聞いていた英語の結果は思い通りにいかなかったようです。大文字で書かなくてはいけないところを小文字で書くなどマヌケな間違いだらけのようでした。

 わが子の失敗例のように、わたしたちにも日ごろ、あることについて出来る気になっていても、いざその時になると出来ない、といったことがたくさんあります。

 理解していることと出来ることとの間には、天と地ほどの差があるのです。例えば、泳ぎ方の本をいくら読んでも、それだけで泳げるようにはならないのです。

 わたしたちはある技能を身につけるとき、「理解する→訓練する→出来る→習慣化する→出る」というように段階を踏んで習得していきます。車の運転を例にとると、はじめは教習所で交通法規やアクセル、ブレーキなどの機能を習います(理解する)。教習車で練習し(訓練する)、どうにか一つひとつの動作を意識しながら普通に動かせるようになります(出来る)。そして運転を繰り返すことで(習慣化する)、やがて意識することなくハンドルやアクセル操作が行える(出る)ようになるのです。

 この意識して動かせることが「出来る」であって、意識することなく動かしてしまうことが「出る」ということなのです。この「理解する」、「出来る」、「出る」の違いを認識できている人には仕事の出来る人が多いものです。
 訓練して出来るようになってから理解できることも稀にはありますが、条件反射のように無意識に「出る」状態になるためには、やはり反復が必要です。

 わたしは、人から聞いて以来「ABC」というものを人生において大切にしようと思っています。つまり、「(A)あたりまえのことを」「(B)バカになって」「(C)ちゃんとやる」といった、愚直なまでに基本的なことをしっかりと大切にしていくということです。そんなバカみたいな小さなことの積み重ねが、結果として大きな成果につながるのではないでしょうか。

 反対に、困ってしまうのは中途半端にものごとを合理的に考えてしまう人たちです。そういう人は愚直にやり続けることをバカにしてしまいがちです。たぶん、トイレ掃除がどのように仕事や人生に影響するのかなどについて語っても永久に分かってもらえないことでしょう。