苦行

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 仏教では、自分の思い通りにならないことを「苦」と言うそうです。人生は思い通りにならないことばかりですので、その意味では、生きることは苦行そのものなのでしょうか。

「思う」ことから解放されたら「苦」はなくなるのかもしれませんが、そんな人には会ったこともありませんし、それでは生きる意味がありません。理想とか思想とかいう崇高な考え方はともかく、「何をしたい」とか「どうなってほしい」といった表層的な思いは誰にでもあります。

 そして当たり前ですが、誰でも自分の思った通りになって欲しいものです。思い通りになって欲しくない人などいません。特に経営者はその思いが強い気がします。理想としたものを作り上げたい気持ちが強いのが経営者です。ですから、強要しないまでも社員には自分の思い通りになってほしいと考えるのが普通の社長です。

 反対に、すべてを社員のしたいように任せるという放任主義は、経営においては聞いたことがありません。野生の動物でしたら放っておいても統一性のある行動をとるのかもしれませんが、人間社会の会社ではそれでうまく運営できるところは一つもないと思います。

 社員に自由を与え彼らの思い通りにさせるとしたら、社長の思い描いている方向性の範囲内においてのみです。一定の方向性において、社員に主体性を持って行動させることで生産性が上がるのです。社員に示す方向性がないのだとしたら社長なんてするべきではありません。

 会社は、社長の思い描いた以上にはなりませんから、まず「どうありたい」「何をしたい」を示すことが大切です。そこに集う人たちに思いを伝えるのです。社長に限ったことではありませんが、いい意味で自分の考え方で周囲の人を引きずり回すのがいいのです。他人の考えに引きずり回されるようでは困ります。もちろん、結果が社長の思い通りになるとは限りません。

 そしてつらつらと考えるに、なによりも思い通りにならないのは自分の心です。なかなか「苦」から逃れられないのが人生のようです。

「苦中楽あり」(安岡正篤師:六中観)……苦しい中にある楽しみこそ本当の楽しみで、ただ楽しいだけでは人間は頽廃してしまいます。