修身

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 先週のコラムで二宮金次郎像について書きましたが、戦前の国定教科書では修身の象徴として二宮金次郎が取り上げられていました。

「修身」では、家庭の躾、友情、勤勉、武士など25の徳目を過去の偉人の言葉やエピソードを用いて教えていたのです。その偉人の一人が二宮金次郎でした。

 長い間、日本人の精神形成の中心的役割を果たしてきた修身は、敗戦により教育勅語とともにアメリカによって廃止されてしまいました。
 反対に、アメリカではレーガン大統領の時代に、乱れた若者への道徳指針として日本の修身が再認識され、アメリカの教育現場で使われるようになったのです。

 その当時、アメリカの道徳教育を担っていた文部長官のWベネット氏は、「The Book of Virtues」(道徳教本)という本を出版したのですが、この本の基になったのが日本の修身だったのです。この本はベストセラーとなりヨーロッパにも広がりました。アメリカによって廃止された修身が、近年アメリカで評価されているのですから面白いものです。

 先日の論語教室で教えていただいたのですが、修身という言葉は四書五経の『大学』に書かれている「修身斉家治国平天下」に由来するのだそうです。

 身が修まると、家が斉(ととの)う。家が斉うと、国が治まる。国が治まると、天下が平らかになる。万民が身を修める「修身」がすべての根本であり、根本が乱れていて末端が治まっているなどということはあり得ないというのです。

 会社も同じで、いい会社をつくろうと思ったら、まずもって社長自身の修身が必要なのでしょう。私にとっても難しいテーマですが、それがなくて社員の修身、斉家を説いても意味がありません。社員にとって、いい会社にしたいものですが、まだまだです。