侘び寂び

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 頭のいい人の中には、論理的に相手を追い詰めていきグーの根も出ないようにする人がいます。

 若いころの舛添要一さんがまさにこのタイプで、議論になると勝つのだけれども必ず後味が悪いことになります。

 論戦では見事なまでに論破しますから、相手は納得するしかありません。しかし相手は、「あなたが言っていることは正しい、でも、あなたは好きになれない」と思ってしまいます。

 相手の逃げ道をなくし、傷つくほど追い詰めたらいけません。猫を噛まないまま終わる窮鼠もいるかもしれませんが、相手が抱いた楽しくない感情は、巡りめぐって自分に返ってくることになるのだと思います。きっと。

 楽しくない会話のひとつに正論があります。正論は正しいので反論のしようがありませんが、相手をも傷つけてしまいがちです。

 会社の運営においては、「頑張って成果を上げた人が優遇されるべきだ」との考え方があります。まさにその通りです。

しかし、頑張っても成果が出ない人もいますし、そもそも能力的に劣っている人もいます。すべて成果通りに遇することが公平かというと、そうとも言えないこともあるのです。

 私自身、若いころには正論をぶち上げて上司とやりあったものです。しかし上司は「なんで年下のお前に説教されなくちゃいけないんだ」と思っていたことでしょう。

 そもそも正論を語るほど自分自身もできていないのに、理屈だけは達者で周りの人をやっつけてしまうのですから困ったものでした。

 なんでも白黒はっきりすればいいというものではありません。ある部分はファジーやグレーゾーンってのがあってもいい。阿吽の呼吸、侘び寂び、いい塩梅というものは日本人ならではのいい意味での曖昧さなのです。

 もちろん、外交や海外とのビジネスにおいては侘び寂びなんて、日本人に対する理解の壁になってしまいますから通用しません。しかし、これこそが島国で人種や言語が混ざり合わなかった、誇るべき日本特有の文化ではないでしょうか。