誰かのために

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 ある方の勧めで鹿児島県の知覧に行ってきました。太平洋戦争末期の特攻隊の基地です。知覧行きを勧めてくれた方は、「一所懸命と本気とは違います。日ごろどれだけ自分たちが本気になっていないかを思い知れるところです」とも言われました。

 特攻平和会館には、わが国のために志願して命を捧げた若い戦士たちが、飛立つ直前に家族や愛する人に書いた遺書や遺品が多数展示してあります。自筆の遺書になにも感ずることなく、帰りの途につける人はいないでしょう。

 わたしは、敵の戦艦を沈めることが特攻隊の目的だと思っていました。しかし、当時はアメリカ軍が本土に上陸した日には日本人は皆殺しにされると信じていた国民も多く、本土上陸を一日でも延ばそうとまさに決死の覚悟で特攻隊は敵艦に突っ込んで行ったらしいのです。

 戦争というきわめて異常な状況下ではありましたが、軍の命令ではなく全員が特攻志願して散っていったのですから本気の度合いが現代の企業戦士とは比べるべくもありません。

 なかでも茨城県出身の藤井一中尉の遺書に、わたしは胸が一杯になってしまいました。藤井中尉は少年飛行兵の生徒隊中隊長として精神教育を受け持っていたのでしたが、教え子を特攻に行かせるたびに「おまえたちだけを死なせない。中隊長も必ず行く」と言って中尉は自らも特攻を志願していました。しかし年齢的に若くない中尉には奥様と二人の子どもがいたため、志願し続けるも毎回却下されたのでした。

 戦時中とはいえ、幼子を抱えた中尉の奥様はご主人に特攻など志願して欲しくはないのが本心です。しかしご主人の意志の堅いことを知った奥様は、「わたしたちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから先に逝って待っています」という遺書を残し、二人の女児に晴れ着を着せて厳冬の荒川で入水自殺したのでした。中尉は、妻子の死を無駄にすまいと血書により軍に嘆願し、こうした事情を考慮して藤井中尉の特攻志願は受理されたというのです。

 わたしたちは自分のためと思って、どれだけ頑張りとおせるでしょうか。自分の利益を優先した動機付けは弱く、周囲の人のこころを打つことは絶対にありません。家族や社員のため、お客様や地域のため、国家や世界平和のためと使命感が大きくなればなるほどに強く長くモチベートされるのではないでしょうか。

 経営者として、少しは頑張っているかなと自負しているわたしも、特攻隊で散っていった若者を思うと本気の度合いが比べものにならないと反省してしまいます。

 特攻の是非はともかくとして、命を誰かのために捧げることをも厭わない使命感に動機付けされたとき、人はとてつもなく大きな力を生み出すことだけは確かなことです。知覧にまだ行ったことのない方は是非一度行ってみてはいかがでしょうか。

 「父も近くお前達の後を追っていけることだろう。厭がらずに今度は父の膝に懐でだっこして寝んねしようね。それまで泣かずに待っていて下さい…… 父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります……」 藤井一中尉