上善如水

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大谷

 日本酒好きの方ならお酒の名前としても知られているこの言葉、これは古代中国の思想家、老子が書いたとされる『老子道徳経』の一節です。

 書き下し文にすれば「上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し」で、意味合いとしては、最上の善とは水のようなものである。水は万物に恵みを与え、争うことがなく、人の嫌がる低い場所に集まる。だから「道」に近いのだ。ということでしょうか。

 この「道」というのは老子の思想の根本的概念で深い意味があるのでここでは語りません。一見すると、老子の思想とは老成し円熟した人間の思想であり、どちらかというと若々しさや厳しさを感じるものではないかもしれません。

 しかし老子は後の章で、世の中のもっとも柔らかいものが、世の中でもっとも堅いものを突き動かす。形のないものが、隙間のないところに入っていく、とも語っています。ただ単に争いを避けて穏やかにしているという意味ではないことが分かります。

 私が『老子』と初めて出会ったのは、高校生の始めぐらいだったと記憶しています。当時は『老子道徳経』をまともに読めたわけでもないですが、その思想に一端に触れ、ものの考え方に深く影響を与えられました。

 最近、特にネット社会になってから世の中の風潮が非常に窮屈に感じます。ちょっとしたことで人を叩き、何かあれば炎上。現代日本の風潮として、社会全体が自己中心的になってきているような気もします。

 いかに自分を利するかという考え方があれば、その対局には無欲、というより虚無的な思考があります。自意識の肥大化が要因でしょうか。他人に迷惑をかけなければ良いという考え方がありますが、社会に生きる人間は必ず他人と関わり、少なからず迷惑もかけていますから、それら全て、自己中心的な思考の現れであると思います。

 老子の思想というのは根本に、ありのままの自然を観るという点があります。ぼーっと眺めるということではありません。人は知識や経験が増えるごとに、ありのままを観ることから離れていくような気がします。

 この情報過多の現代だからこそ、老子の思想は人間の原点に立ち返らせてくれるような気がします。私も常に水のような心で、徒に争わず、自在に変化できる人間でありたいと思います。

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