因縁


秋吉

「因縁(インネン)をつける」と聞くと、皆さんあまり良いイメージが湧かないことかと思います。先日、座禅会に参加してきたのですが住職から因縁の由来についてお話を聞く機会がありました。

 因縁は最も間違った解釈で使われている仏教用語とのこと。因縁とは仏教用語の「因縁果」という言葉から来ているそうで、籾種(もみだね)と米との関係で分かり易く話を聞かせてくれました。

 因縁果の因とは物事の種のことで、例えば籾種が「因」であるとします。籾種はやがて育ち芽を出し稲となり米を収穫することができます。

 しかし、籾種さえあれば米を取れるかというとそうはいきません。籾種を何もない床の上に置いたとしても米にはなりません。水の恵み、栄養のある土壌、日光、適温などが揃って初めて米になります。

 ここでいう米が「果」、水や土、光、温度が「縁」になります。もし、豊かな土壌や、適度な気候が整っていたとしても籾種がなければ米にはなりません。結局のところ、物事は因と縁が結びついて果になるのだと。

 自分自身に例えるなら、元々持っている自分の中にある種が縁によって今自分に起きている結果として現れるということでしょうか。

 自分自身に起きている全ての出来事は自分自身が原因で必然として起こっている、という話は良く聞きますが、それがどのような結果として現れるかは縁によって影響を受けるとなるとやはり縁は大切です。

 自分の今があるのは両親からもらった種が小さな頃からの自分の育った環境や積み重ねてきた多くの出会いという縁によって今の自分となって表れているということですね。

 身体が弱かったから資格を目指し、資格を目指したのでこういう業界に入り、こういう業界に入ったから今この職場に居て、この職場に入ったから多くの良い出会いに恵まれ、そしてこれからも続きがあると考えると不思議な感じがします。

 種である因が自分の中にある思考だとすると縁と巡り合った時に良い実を付けることができるように常に自分自身を磨いておかなくてもならず、そうすることで良い縁を引き寄せることができるのかもしれません。

 自分ばかりでなく周りの人にも自分が良い縁になったと思われるようになれたら理想ですが、まだまだ理想とは程遠い自分なので成長のしがいがあるというものです。

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